※シャーロック・ホームズの祖父、アンリ・コーヴァン
偶然にしては出来過ぎていることが僕の周辺では(特にこの掲示板に書くと)起こるのが不思議です。約100年前の時代の出版物でGallicaのデジタル書庫(これは別途詳しくご紹介しますが)に番号を付けて整理されている一冊ごとの書誌データを調べながら、読んで楽しめそうな(つまり広義の)文学書のリストを作っていたのですが、ふと『血染めの手』(La main sanglante : No.64535)という本が出てきたときに「おや、これはどんな内容かな?」と最初のページに目を通したのが運命の始まりでした。
まるでシムノンの文章のように表現が簡単でしかも類型的な描写で事件が進んでいったのでした。
その日は(普段はほんとにこんなことはしないのですが)会社のプリンターで2〜3章を出力してそれを読みながら帰途につきました。ところが乗り合わせた電車が途中駅までしか行かない鈍行だったのに、すいていたのをいいことに座ってじっくり読みふけりました。・・・そして気がついたときにはその電車が折り返して反対方向に走り出していたのです。(誰かさんのことを笑える立場ではなくなった。)照れくさいので次の駅では降りず、数駅過ぎてから元の方向の電車に乗り替えました。
前置きはこのへんで、この作者アンリ・コーヴァン(Henry Cauvain)とは何者か?を調べることにしました。(別の捜索案件が出たということに・・・)インターネットではやはり手掛かりはあまり多くありません。たまたまフランスの本屋さんで『マクシミリアン・エレ』(Maximilien Heller)という本が売られていることと、BNFの19世紀文学史概説の「探偵小説」(Roman polar)の項目で、ガボリオやルルー、ルブランに並んでコーヴァンの名前が明記されていたのでした。
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http://gallica.bnf.fr/themes/LitXVIIIIz1.htm
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それから更に感服したのは、僕の座右の教科書『怪盗対名探偵』(松村善雄著)の中にちゃんとモーリス・ルヴェルの名前同様、アンリ・コーヴァンもきちんと紹介されていたことでした。スイス付近のアヌシーの税務署の役人だったそうで、惜しむらくは彼が52歳で死去したことです。(1847-1899) 彼の著作の数が少ないのはこの短命とお役所勤めだったからでしょう。いまのところ7〜8冊くらいしか書名がわからず、しかも探偵小説としては上記の『血染めの手』『マクシミリアン・エレ』のほか1〜2冊しかないそうです。
問題はこの『マクシミリアン・エレ』に登場する同名の人物です。人間嫌いで、憂鬱症で、阿片常用者、猫が好き、理路整然と推理を展開する、そして語り手の友人は医者のウィクソンWiksonというと、ここまでで「偽者だ!」と叫ばれる方々が多いのですが、しかしながらこの作品はなんと!ドイルのホームズ第1作『緋色の研究』の発表(1887.12)よりも16年も前の1871年に刊行され、1886年には英訳がロンドンで売られたことがわかったのです。マクシミリアン・エレとかウィクソンなどの個人名はフランスっぽくないのですが、作者がスイスに近い地方の出身なのでおかしくはない。むしろドイルがこの作品に影響を受けたことをあえて語ろうとしなかったほうがあやしい!のではないでしょうか。
ただしホームズの世界的・歴史的な大成功の蔭には、ドイルの文筆力とホームズをホームズらしく仕立て上げた英国ロンドンの風土があったからなのは否めません。僕たちはせめても(フランスびいきとして?)忘却のかなたに埋もれたこの作家をフランス・ミステリー史上に残る記念碑的な作家としてもっと親しめるようにしてあげたいと思うものであります。
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