文 通 と 交 通 (改訳版)

アルフォンス・アレ

 そうです、仕方がない!人は言いたいことを言うものだ。私はあるちょっとした手紙をそのままの形で印刷してもらおうと思っている。それは明らかにジョゼ=マリア・ド・エレディア氏(*1)によって書かれたものではないが、とても愉快なものなのだ!こういうことは少なくとも常に行なうべきだろう。ね?


 親愛なるアルフォンス・アレ様

 まだ見知らぬ間柄ですけれども「親愛なるアルフォンス・アレ様」と呼ぶことをお許しいただけるだろうと思います。と言いますのも、私たちの仕事場ではあなた様のことをたいへん話題にしているので、なれなれしさは大目に見ていただきたいのです。

 毎朝、ジュルナル紙(*2)を開くとすぐに「おかしな人生」のコラム記事があるかどうか目を走らせます。そしてあるものなら叫び声を上げます。
「今日はどんな寝ぼけた話をこのお馬鹿さんは話してくれるのかしら?」
 ご安心ください。ここで言う「お馬鹿さん」という言葉はいい意味で、ちょうど若いお母さんがやんちゃな幼児に言うようなものでしょう。

 とりわけあなた様の「乗合馬車」の話は私たちのお腹をひどく揺るがせました。(原文のママ)それというのも乗合馬車、特にその係員というものは、愚かにも乗客や乗客婦女に対して大資産家からの言いがかりや搾取(原注1)の憂さ晴らしをするのを知っているからです。

 あなた様の乗合馬車についての記事が出た日以来、私たちは一つの考えを抱きました。それは運転係員を狼狽させることで、しかもそれはときどきうまく行きます。
 一例として、昨日のことをお話しましょう。
 
 私たちはモンマルトルの祝祭で夜中まで騒いでいました。とても親切な若者たちにはそれでもいきなり横面をたたくことになりましたが、ロシュシュアール大通りの居酒屋でサラダボウルをすすめられたのです。(恐らくあなたはこのサラダボウルが何なのかをご存知ないでしょう。(原注2)このことはいずれお話しします。)これで一層私たちは陽気になりました。(*3)

 でも時間が時間だけにね、そうでしょ?そのうえ黄傘のランドー馬車も持っていないし、私たちはエトワール〜ラ・ヴィレット線(*4)の鉄道馬車にとび乗って乗継切符を頼んだのでした。(金持ちのボリヴィア人がフォルチュニ街(*5)の屋敷を提供してくれるのを待つあいだ、私たちはシャロンヌ大通り(*6)の両親の家に住んでいるのです。)
 乗っている間、友だちのリュシエンヌは何も言いませんでした。もちろん何かを思いめぐらせていたのですが、私は何なのかを訊かなかったのです。
 私はじっと見ていました。

 終点のラ・ヴィレットで私たちは降りて、ラ・ヴィレット〜トローヌ広場線の乗り場の方に向かおうとしましたが、リュシエンヌが引き止めました。
 地獄の厚かましさで彼女は係員のところに行くと、二枚の乗継切符を見せてたずねました。
「この小さな紙片は何ですの?」
「お嬢さん、それは乗継切符ですよ。」
「わかりました!・・・それでこの切符はお金を払わなくとも降りた所から接続する鉄道馬車に乗る権利があるんでしょ?」
「その通りです!」
「それじゃ、いいですか!あたしの切符は降りた場所から離れないという条件でしか使えないんでしょ?」
「まったくその通りです!」
「まったくその通りですっておっしゃるんでしょ?あたしたちは乗継の権利をなくさないようにこの場所から離れませんよ。ここでトローヌ広場行きの鉄道馬車を待ちますわ。」
「でもお嬢さん、ここには馬車は来ません。向こうの乗り場に行かなければいけませんよ。」
「いえ、いえ、あたしたちは降りた場所から離れたくないんです。乗継が無効になってしまうでしょ。それにあたしたちが鉄道馬車に乗るのは歩かずにすますためですから。」

(ここであなたはひょっとしたらよく知らないかも知れないのでお話ししますが、ラ・ヴィレット〜トローヌ広場線の乗り場は、エトワール〜ラ・ヴィレット線の乗り場から百メートル以上も離れた場所にあって乗継と称しているのです。)
 これ以上の話のやりとりを続けるのは割愛します。かわいそうな係員はリュシエンヌのずうずうしさと屁理屈を前にして怒り心頭に達していました。私のほうはお腹が痛くなるほど笑いました。
 それにしても帰らなければいけないので、結局私たちは恐い脅し文句を言い残して向こうの鉄道馬車に乗りました。
「明日、執達吏を連れてもう一度来ますからね。もしここの場所から乗れないならおたくのダメ会社にここを走らせるようにしてやるわ!」

 この小話があなたの興味を引くかどうかはわかりませんが、とにかく私たちは大いに笑い転げました。
 これに少し手を加えれば平和通りの若い娘たちを面白がらせることができるでしょう。私たちはご婦人方のために帽子を作っていて、面識がなくともあなたの愛読者なのです。

 もしその気があって、なおかつあなたの背後に恐ろしいアルフォンス・アレ夫人がいなければ、あらかじめお知らせのうえ一両日中に良きお友だちとして昼食においでくださいますように。私たちの知っている店はサントノレ街の片隅にあって、それほど味は悪くありません。
 どうかご心配なく、長くお引き留めはしません。午後一時には仕事に戻らなければいけませんので。

 追記: 汚い真似はいたしません。
 それでは近いうちに?
                               リュシエンヌと私


 よろしい!わかりました。リュシエンヌとあなたですな!日時と場所を知らせてください。おっしゃるように「良きお友だちとして」有名な小ぢんまりとした店で昼食をとりましょう。ところで私の心、かわいそうな心は、淡い琥珀色の姫君の独占的かつ決定的な所有物となっておりますので、私の過去の過ちからするとあまり好ましく思われないことでしょう。(終)


原題: Correspondance et correspondances
短編集『二たす二は五』 Deux et deux font cinq 所収 (1895年刊)
作者: アルフォンス・アレ Alphonse Allais
試訳:写原祐二(2004年12月01日:初訳)(2004年12月13日:改訳)
監修:松本隆明


原注1. いいぞ、かわいい帽子屋さん!社会革命万歳!

原注2.

この若い女性たちについては、筆者はよく知らない。

*1.

ジョゼ=マリア・ド・エレディア氏 M. José Maria de Hérédia (1842-1905) : キューバ
生まれの詩人、編集者。19歳でフランスに定住。父親はキューバの農園主、母親は
ノルマンディ出身のフランス人。詩人としては高踏派の影響を強く受け、118のソネッ
トを集めた詩集『戦利品』Les Trophées (1893)が代表作。その交友は広範囲に及び
雑誌編集者としてサロンを形成した。この手紙は文面から見ると愛読者の女性が書
いたようになっており、「エレディア氏の書いたものではない」と断っているが、これに
かなり類似した手紙を受け取ってこの短篇に仕立ててしまった可能性は大きい。
↓松本隆明氏に教えていただいたエレディア関連の非常に美しいサイト(仏語)はこ
ちら

http://www.josemaria-heredia.com/

*2.

ジュルナル紙 Le Journal : 19世紀末のパリの新聞の一つ。アルフォンス・アレが
コラムを書いて人気を博した。

*3.

サラダボウル saladier ・・・ゾラの『居酒屋』にも書かれていたようだが、サラダボウル
にホット・ワインを入れて供される。(この情報については松本隆明氏にお助けいた
だいた。)

*4.

エトワール〜ラ・ヴィレット線Etoile-La Vilette : 19世紀末当時のパリ市内を走る鉄
道馬車の路線。現在のパリ地下鉄の2号線に当る。これは想像だがエトワール(凱
旋門)広場から始まってラ・ヴィレット運河の水門西にある現スターリングラード駅あた
りまでで路線が途切れていて、水門東の現ジョーレス駅あたりからトローヌ広場(現
ナシオン広場)まで乗継だったらしい。地下鉄2号線は1903年に全線開通した。
(参考図は下に)

*5.

フォルチュニ街 rue Fortuny : パリ西北部17区のモンソー公園の近く、瀟洒なアパルト
マンが立ち並ぶ一帯にある。

*6

シャロンヌ大通り boulevard de Charonne : パリ東部のペール・ラシェーズ墓地付近
の大通り。

ミシュラン社刊行のパリ地図
より10区ヴィレット大通り
付近


底本テキスト : Alphonse Allais《Deux et deux font cinq》
Gallica, La Bibliothèque numérique, BNF #91325 ガリカ電子図書館
http://visualiseur.bnf.fr/Visualiseur?Destination=Gallica&O=NUMM-91325
Editions Paul Ollendorf, Paris; 1895 ポール・オレンドルフ社版
Correspondance et correspondances ; P14〜18


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