ごく小さな犬における大いなる知性

アルフォンス・アレ

 僕は犬たちのことをかなり悪く言った。犬たちの卑屈な態度や服従精神をなじった。今日のもたもたする裁判を非難するように僕はこのみじめな犬ころどもをかなりしばしば愚弄した。
 
 それでも僕は言いたい、犬たちはとても頭がいい、我々が思っている以上に頭がいい、と。

 かしこい犬たちの事例の数々は、動物の心についての特殊な論議において山ほどあげられるが、次に述べるような事例はこれまでの小話集にも収められたことがないと思っている。
 
 その話はある若い女性によって語られたが、そのあまりの軽薄さも彼女の持つ魅力をいささかも損なうことはなかった。

 この軽薄な女性の語るままにお伝えしよう。

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 考えてもみてくださいな。あたしはあやうくジップをなくすところだったんですよ。かわいい小(こ)ジップちゃん、おばちゃまの小(こ)ジップちゃん。(とジップの黒く湿った鼻面にキスをくり返す。犬という種目のつまらない見本。)

 えぇあなた、ジップが逃げてしまったんです。このおバカさんはおばちゃまに心配をかけちゃって!この子が脱走するなんて、しかも首輪なしで!
 
 あぁあなた、そのときのあたしったら!もう気が狂いそうでしたわ。ほんとに気がどうかなってしまいそうで!
 
 すぐにあたしはこのあたりを人に探させました。ジップ!ジップー!ジップーー!

 一日じゅうこのへんではこの呼び声ばかりしてました。

 夜になりました。ジップは見つかりません!

 あぁ!あたしが過ごした夜のことったら!大嫌いな人たちと同じくらいもう結構ですわ。

 つぎの日、印刷屋に行ってポスターをたくさん作っていただいたんです。

《迷い犬 … 小さなメス犬です、これこれ …。名前はジップ、呼ぶと返事します、これこれ …。外見はこれこれ …。住所はこれこれ …。謝礼はこれこれ …。》

 けっきょくこれもみなこのいたずらっ子を見つけるためだったんですよ。(前述したような熱のこもった何回ものキス。)

 二時間のうちにパリじゅうの壁にこのポスターが全部貼られました。この仕事はもっと長くかかると思っていたんですけど。

 一日が過ぎました。ジップは見つかりません!夜になってもジップは見つかりません!夜のとばりが広がろうとしていましたが、ジップがそばにいてくれればあとはどうでもいいんです!

 とつぜんあたしは恐ろしい叫び声を上げました!

 貼ったポスターの見本に目を走らせていたんです。「迷い犬 … これこれ …。」

 このバカな印刷屋はジップのかわりにヂップと書いてたではありませんか!ヂップならご存知のように面白い小説を書いてる女流作家でしょうに!(*1)

 みんなやりなおしです。

 あたしは何とも言えないすすり泣きの声を出しながらソファに身を投げ出しました。するとそこにお部屋係が叫びながら入ってきました。「ジップ!ジップ!ジップが見つかったんですよ!」

 そして喜びにあふれたジップがあたしの胸に飛び込んできたベタベタ加減ったら!

 次の間に身なりのパッとしない男の人がいました。その人が言うにはリヴォリ街のはずれのほうでジップを見つけたと言いました。ポスターに書いてあった外見からジップだとわかったので、「ヂップ!ヂップ!」と呼んだそうで、涙にくれているかわいそうなおばちゃまのところにおとなしく連れてこられたんですよ、ほらね!

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 こうしてこの小さな動物は、人が「ヂップ」と自分を呼んでも彼らが間違いをしでかしていて、それはまさしくこの「ジップ」のことなのだ、ということを完全に理解していたのである。

 デュランという名前の人間が、挨拶のためだとしてもマルタンと呼ばれてどれだけ振り返らずにすませられるであろうか!(終)


*1. ヂップ:便宜上この類似表音にした。原文では犬のジップはJip、人のヂップはGyp となっている。どちらもジップと表記するのが正しいが、印刷ミスをはっきりさせるための方便としてご容赦いただきたい。
 女流作家のGYPは本名をマルテル伯爵夫人シビル・リケッティ・ド・ミラボー Sybille Riquetti de Mirabeau, Comtesse de Martel (1850-1932) といい、19世紀末から20世紀初頭にかけて少女ものの通俗小説をたくさん書いて人気があった。

http://www.ac-nancy-metz.fr/pres-etab/poinca_h/semeurs/gyp/g1.htm


原題: Grande intelligence d'une toute petite chienne
短編集『賃貸契約満了につき』Pour cause de fin de bail 所収 (1899年刊)
作者: アルフォンス・アレ Alphonse Allais
試訳: 写原祐二(2005年4月24日)


底本テキスト : Alphonse Allais : Pour cause de fin de bail
Gallica, La Bibliothèque numérique, BNF #204440 ガリカ電子図書館
Editions de la Revue blanche, Paris; 1899 ルヴュ・ブランシュ社版 1899年
http://visualiseur.bnf.fr/Visualiseur?Destination=Gallica&O=NUMM-204440
Grande intelligence d'une toute petite chienne; P215〜219


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