オベリスクの灯明事件 (三面記事)
アルフォンス・アレ
水曜日から木曜日にかけての夜、コンコルド広場(*1)を見回っていた二人の巡査は、ルクソールのオベリスク(*2)の裂け目から灯りが見えたのに少なからず驚いた。
まず最初に彼らはそれが何か光るおもちゃではないかと考えた。
だが真面目な巡査たちにはどんな疑念も放置できないので、近づきながら裂け目を通して見える一筋の灯りを確認してみようとしたのだ。
たしかに一筋の灯りが通じていた。
少し面食らって巡査たちは石柱のまわりを一周してみたが、この不思議な現実を打ち消すことはできなかった。オベリスクの内側に光があったのだ。
彼らは大急ぎで派出所にもどり、巡査長にそのことを告げると、その巡査長はためらわずに警察署長を呼びに行った。
署長は最初悪ふざけではないかと思った。彼は薄笑いを浮かべながら言った。
「おそらくオベリスクの管理人が照明の灯りを消し忘れたということもあるだろう。」
しかし巡査長が熱心に頼むので署長は現地に赴くことにしたが、巡査たちが幻覚を見たのではないことがわかった。
すぐさま彼らは鉄柵の中に踏み込んで、石柱の外壁に耳を押しつけた。
エジプトの古代建造物の内側では大饗宴の騒ぎが聞こえた。瓶や酒盃の鳴る音、神を冒涜する不遜な話し声、下賎な戯れ唄や卑猥な詩歌など。
すばやい検証が行なわれ、このオベリスクの中に入り込むための戸口は、隠されていようといまいとまったくありえないことが確認された。
したがって悪人どもは真下から入り込んだに違いなかった。
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もはや取るに足らない事件ではなくなり、午前三時に下水道局の係員をたたき起こすこととなった。それでもやはりそうする必要があったのだ。
つけくわえて言えば、これらの真面目な係員は睡眠が中断されたことに少しも不平をもらさなかった。というのも月並みから大きくかけ離れたこの光景に目を奪われたからであった。
下水道の(なかなか見つかりにくい)小さな分岐から始まって、悪人たちは長い穴を掘りぬいてまさにオベリスクの真下に到達したのだった。
このおかしな泥棒たちはそこから特別な道具を使って、たゆみない忍耐と労力によりオベリスクの岩塊をついにくりぬいて、ほんの1センチの厚さに外壁を残すという大仕事を成しとげたのである。
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襟巻をした署長の前に立って、勇敢な警察官たちがオベリスクの中に入り込んでみると四人の人物が見つかった。うち二人は悪党面した男ども、もう二人はいわゆる無軌道な娘たちで、派手な乱痴気さわぎの最中だった。
嘘偽りのない言い方で、これらの人物は丸テーブルの周りにすわっていたわけではない。
その場所の窮屈さゆえに、彼らはやむなくノートル=ダム橋から遠からぬデパートから盗み出した鉄パイプ製の垂直のはしごを使って空間を作り出していたのだ。
食い物や飲み物をやりとりするためにこの下品な連中は「アップ・アンド・ダウン」というアメリカ式のやり方を用いていた。つまり一番下にいる者が酒瓶やハム・ソーセージを上にいる隣人に上げてやり、その者がまた上にいる者に上げてやるという方法である。
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これら愉快な人間どもは留置所に連行された。 (終)
原題: Le cambriolage de l'Obélisque
短編集『賃貸契約満了につき』Pour cause de fin de bail 所収 (1899年刊)
作者: アルフォンス・アレ Alphonse Allais
試訳:写原祐二(2005年2月22日)
*1.
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コンコルド広場 place de la Concorde:パリのほぼ中心部に位置する長方形の広場。正確には長方形の四隅をカットした長八角形となっている。直訳では「親和広場」。大革命のときにはギロチンが設けられた。中央に1836年にエジプト副王モハメッド=アリから贈られたオベリスクが立っている。現在ではパリで最も眺望の美しい、かつ交通の混雑する場所となっている。
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http://www.paris.org/Monuments/Concorde/concorde.f.html
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*2.
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ルクソールのオベリスク l'Obélisque de Louqsor: 1836年エジプト副王のモハメッド・アリから当時のフランス国王ルイ=フィリップに贈られた。高さは22.83m、重さは230t。もともとルクソールのアモン神殿の入口に立っていたもの。
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