ズルい手口
アルフォンス・アレ
1870年代だったか1880年代だったか(この辛苦の時期を正確に特定するには時間がかかる)当時僕はリュクサンブール近辺(といっても大公国(*1)ではなく公園のこと)の質素なところに住んでいたが、金の流れがちょっとどうしようもないほどに氾濫してしまった。
僕の家族は(それでもかなり実直な人間で)栄光をめざす試験をこれ以上受けるのは見たくないと(もっと厳密に言うと、ぱっとしないところの試験で甘んじてほしいと)ばっさりと仕送りを断ってしまったのだった。
僕は困窮と赤貧と欠乏の中で苦しんだ。僕の唯一の収入源といえば(もしそれを収入源と呼べるのであればだが)「左岸の黄金虫」という雑誌に自分の名前を出したいというある大間抜けの学生のために変てこな記事を代筆することだった。(その後廃刊)
この男が出してくれる報酬はごくわずかな額だったのだが、僕は奴のすごい美人の恋人と一緒に寝てやって、そのしみったれ根性におもむろに復讐した。その後、奴は彼女と結婚した。
いい時代だった。食欲は旺盛でなんでもおいしく食べられた。夕方、聖ルイ高校のちょっと上にあるシェリー・ゴブラーの飲み屋の近くにあるカニヴェという食料品店でマスタードを一瓶うまく失敬できたときは至福を味わったものだ。
僕がほんのちょっと厄介に思うたった一つのことといえば、支払期限だった。そして支払期限に関して僕が厄介に思うのは、その支払をすることではなく(僕は払わないよ)、正しくはその支払をしないことなのだ。おわかりか?
僕は毎晩、帰宅するときにある苦悶にさいなまれる。門番の女に観察され、とりわけ睨まれることに直面するのだ。
ああ!あの門番女の目つきときたら!
この門番女が僕を睨むほどの凄まじさは、他の方々の門番女には神かけて決してないだろう!
この意地悪女の眼は、創造物のありとあらゆる邪悪な眼差しを全員集合させたようなものだった。
この眼差しには、ハイエナのような、虎のような、豚のような、猛毒のコブラのような、舌平目の唐揚のような、そしてナメクジのような凄みがあった。
きたない端下女め!
彼女は寡婦となっていたが、夫は彼女の目つきの犠牲となって死んだのだという考えを打ち消す根拠はなかった。
当時僕はとても若かったのでこんな形で、あるいは他のどんな手段でも、他界するのはご免だと思い、引越しすることをあれこれ考えることにした。
僕は引越しと言ったが、自慢じゃないが、単純な脱出を考えているのであって、一種の夜逃げみたいなものなのだ。
この時期、僕には道徳観念がまだまだ形成されていなかった。
プルードン(*2)を読んで学んだせいで、僕は所有することが盗みになると本気で信じていた。さらに何回かの家賃の支払いを無視して住まいを放棄するという考えには何の呵責も感じなかった。
何よりも僕の大家には人を思いやる気持はさらさらなかったのだ。
元は執達吏で、同じ時代に生きる人たちの破綻や倒産の上に大きな財産を築いていた。
彼が持っている家々の各階がそれぞれ少なくとも一つの破産を意味していて、この冷酷な奴が家賃の会計簿と同じくらい人間の絶望についてわかっているのは確かだろうと思った。
家賃の支払期限は三ヶ月ごとにやってきたが、7月にも10月にも僕は門番女にびた一文も渡さなかった。
あぁ!その目つきったら!
僕は大家から型にはまった書状を受け取ったが、その中で来たる1月の支払日が最終期限となる旨を通知してきた。
このとき僕は今となってもまだ天才的と思えるような素晴らしい計画を思いついたのだった。
年始に僕は大家にこんなふうに印刷した名刺を送った。
1月8日がやってきて、僕の支払に関してはこれまでの7月8日、10月8日のときとまったく同じように過ぎた。
その晩、門番女は例の目つき(あぁ!その目つきと言ったら!・・・)とともに次のように言ってきた。
「明日はあまり早く出かけないで下さいよ。大家さんからお話しすることがありますから。」
翌朝、僕はあまり早く出かけなかった。それには十分なわけがあった。その日こそ僕の人生でこの上もなく楽しい日だったのだ。
僕は住まいの壁に《火気厳禁》というたくさんの張り紙をした。
僕はおびただしい白紙を1ポンドの糊で丸く貼り重ねていってその時を待った。
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階段を上る大きな足音がした。元執達吏の大家が来たのだ。
呼び鈴が鳴った。僕は戸を開けた。
ちょうど彼は口に葉巻をくわえていた。
僕は恐ろしい顔つきでその葉巻をもぎ取ると階段に捨てた。ものすごく笑いたかったのを押し殺して。
「おや、何をするんだね。」と彼はびっくりして叫んだ。
「何をするかって?・・・あなたはこれが読めないんですか?」
僕は《火気厳禁》の張り紙を見せた。
「どうして《火気厳禁》なんだね?」
「なぜって、もし不幸にしてあなたの葉巻の灰のかけらがこの粉砕薬の上に落ちたりしたら、僕らはみな、あなたも僕も、この辺一帯もみな、吹き飛んでしまうんですよ!」
大家はふだんそれほど血色のいい方ではなかったが、聞いた瞬間、顔色がひどく青ざめてくすんだ紫色を帯びて行った。彼は口ごもり、恐怖から泡を吹いてどなった。
「で・・・ あんたは・・・ それを・・・ わしの・・・ うちで・・・ 作ってるのか!」
僕はきわめて冷静に答えた。
「そのとおり!もし人けのない土地のど真ん中に工場を貸したいと言うんでしたら・・・」
「すぐさまこの家から出て行ってくれないか!」
「でも三回分の家賃を払わなくては。」
「それはまけてやるよ。お願いだから行ってくれないか!あんたとその・・・」
「粉砕薬です!・・・ 僕の粉砕薬と比べたらダイナマイトも殺虫剤ほどの危険しかありませんよ。」
「行ってくれ!・・・ 行ってくれ!・・・」
そこで僕は・・・ 行ってやった。 (終)
(*1)
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リュクサンブール大公国 Le grand-duché de Luxembourg : 現在のルクセンブルク大公国のこと。フランス語読みでリュクサンブールとなる。もともと庭園で有名なリュクサンブール宮殿はこの大公領となっていた王族のために建てられた。
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(*2)
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プルードンProudhon: ピエール=ジョゼフ・プルードン Pierre-Joseph Proudhon (1809-1865) 哲学者、空想的社会主義者の一人とされる。ブザンソン生まれ。若い頃は植字工としてフランス各地を渡り歩く。1840年に『所有とは何か?』を著し、「所有とは盗みである」(La propriété, c'est le vol.) という私的財産を否定する思想で有名となった。ただし、資産家と労働者は相互協力して社会の改造に努めるべき、という主張にとどまった。
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