Illustrations de Delarue-Nouvellière ドラリュ=ヌーヴェリエール画
シ マ ウ マ
アルフォンス・アレ
「ほんとに奇妙な光景に出くわすのはすごく面白いだろうし、君のような地元の人間にもめったに見られるもんじゃないと思うよ。」
友人のサペックからそのような話が出たのは、今から4〜5年前のある夏の日の昼下り、オンフルール(*1)の港の突堤でのことだった。
もちろんのこと僕はすぐさま同意した。
「その並外れた見ものというのはどこであるの?いつ?」と僕はきいた。
「今日の四時か五時ごろ、ヴィレルヴィル(*2)の路上でだよ。」
「しまった!もう時間がないよ!」
「大丈夫さ。僕の馬車を『白馬亭』(*3)の前に待たせているから。」
そして僕たちは縦列につないだ二頭の小さな馬を駆って出かけた。
一時間後、めったにないことが起きるぞと知らされたヴィレルヴィルにいたすべての人、芸術家、旅行客、一般市民、現地人たちがオンフルールからトルーヴィルに通じる道端に並んで立っていた。
人々の期待は最高潮に達した。その気にさせたサペック当人は謎めいた様子で口を閉ざしていた。
「そら!最初のひとつだ!」と彼は突然さけんだ。
ひとつって何が?みんなの視線は託宣を告げるようなサペックの指がさし示す砂煙のほうに不安げに注がれた。そして一台の軽二輪馬車が一人の紳士と一人の婦人を乗せて現われたのだが、その馬車を引いていたのは一頭のシマウマだった。
丈の高い、均整のとれた美しいシマウマが近づいてきたが、その形からしてラバというよりもむしろ馬に近かった。軽馬車に乗った紳士淑女は、自分たちが見物の対象になっていることにあまり喜んでいないように見えた。物見高い人々に対して気分を害したような言葉をつぶやいた。
「ほら、もうひとつだ!」サペックがまたさけんだ。
それはつまりもう一頭のシマウマで、小家族を乗せた荷馬車を引いていた。
最初のシマウマよりは姿が良くないが、この二番目は同属の迅速なウマとしての名声を誇れるものだった。この荷馬車の人たちは見物人を前にしてほとんどぶしつけな態度をとった。
「こりゃきっとパリの人たちだよ。こんなのは見たことないね!」と若い農婦が大声で言った。
「またひとつだ!」サペックが絶叫した。
そしてシマウマたちがシマウマたちに続いた。すべてが姿も形も違っていた。大きなものは大きな馬のようであり、小さいのは小さいロバのようだった。
行列の中には一人の司祭もいた。緑色の小さな馬車に乗り、めちゃくちゃに突っ走るごくかわいい小さなシマウマに引かれていた。我々の態度を見て威厳に満ちた司祭は肩を静かにそびやかせた。彼の家政婦は「こんなヤジ馬どもが!」と呼んでいた。
それから最後に街道はいつもの様相を取り戻した。シマウマたちが去ったのだ。
「それじゃ、このワケを話すことにしよう。」とサペックが言った。
「君たちが今見た人たちは、グラィイ=シュル=トゥック(*4)の住民で、気難しい気質で知られているんだ。それにまた信じがたいほどの頑迷さを示す事例もある。
時代を一番古くまで遡った頃から、さっきその一端を見たように、彼らはシマウマを乗物や農業に使っているのさ。でも彼らは自分たちの家畜に対する独占欲がとても強くて、ほかの村の人間には一頭たりとも売ろうとしないんだ。
僕が考えるにグラィイ=シュル=トゥックは、ユリウス・カエサルによってノルマンディにもたらされた古代アフリカの植民地じゃないかと思うよ。学者の先生方はこの民族誌学的に珍妙な説にはもちろん反対しているんだがね。」
その翌日、この事件の説明で、もっと民族誌学的ではない、しかももっと笑わせる事実を知った。
僕はサペックが泊まっているシメオン農園(*5)の女主人のトゥータン小母さんに出会った。
小母さんはすっかり気が動転していた。
「あぁ!あんたの友だちのサペックさんたら、大変なことをしでかしたのよ!昨日、グラィイの教区の人たちがノートル=ダム・ド・グラース(*6)に巡礼に来たとお思いなさい。その人たちは馬やロバをうちの厩舎に預けたんですよ。サペックさんは、うちの使用人たちを残らず町へ使いに出したんです。
あたしも自分の買い物に出かけてました。その間にサペックさんは、デュフェーさんの家の塗装工事をしていたペンキ屋からペンキの缶を貸してもらって、グラィイの人たちの全部の馬と全部のロバにシマを塗ってしまったんですよ。気がついたときにはもうペンキは乾いていました。剥がす方法もなかったんです!
あぁ!グラィイの人たちはかんかんに怒りましたよ!あたしを訴えるというんです。まったく、サペックさんったら!」
サペックはいさぎよく自らの過ちを事件の次の日のうちに償った。彼は港のまわりにごろごろしている薄汚い男たちを十数人雇った。ベンチのついた大きな荷馬車に彼らを乗せて、沢山のブラシ、馬用の櫛、それに油の缶を積み込んだ。
鳴り物入りで、彼はグラィイの住民でかりそめのシマウマの所有者たちに市役所前の広場に連れてきてもらうように頼んだ。
薄汚い男どもは、きちんと「シマ抜き」をやり始めた。数時間後には、古代アフリカの植民地のシマウマはもはやどこにもいなくなった。
僕が惨めなサペックの、この無邪気で実際にあった面白い悪ふざけを話したいと思ったのは、彼が思ったこともない多くの馬鹿げた事まで彼のせいにさせられているからである。
さらにノルマンディ海岸のある場所にはシマウマがひしめいているという無心な旅行者たちの勘違いを正すことは、悪いことではないと思っている。 (終)
(*1)
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オンフルール(Honfleur):セーヌ河口の風光明媚な港町。印象派の画家たちの活動の拠点の一つでもあった。作者アルフォンス・アレの出生地でもある。(↓)参考地図参照 ©Michelin, 2005
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(*2)
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ヴィレルヴィル(Villerville):オンフルールの西南からノルマンディ海岸沿いに点在する村の一つ。別荘地としても知られる。
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(*3)
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『白馬亭』(Cheval Blanc):オンフルールに実在する由緒あるホテル。港に面している。
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http://www.hotel-honfleur.com/hotel.htm
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(*4)
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グラィイ=シュル=トゥック(Grailly-sur-Toucque):ノルマンディの架空の村名。トゥック川(Toucque)は実在し、リジュー付近を流れ、ドーヴィルとトルーヴィルの間の河口に注ぐ。
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(*5)
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シメオン農園(La Ferme Saint-Siméon):この時代はまだ農園の母屋を民宿のように提供していたように描かれているが、現在ではシャトー・ホテルのメンバー(RELAIS & CHATEAUX)に加盟のこの地方屈指のリゾート・ホテルになっている。ミシュランの☆も付いている。
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http://www.relaischateaux.com/fr/search-book/hotel-restaurant/simeon/
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(*6)
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ノートル=ダム・ド・グラース(Notre-Dame-de-Grâce):オンフルールの西南の高台にある教会。ノルマンディの巡礼地として有名。海を見下ろす眺望が素晴らしい。上記の農園ホテルのすぐそばにある。
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