こうかい としょう
        第16話 紅海渡渉

                    アンリ・ミュルジェ「若き芸術家(ボエーム)たちの生活情景」より


 5〜6年前からマルセルは『紅海渡渉』(*1)の故事を描き出したという大作に取り組んでいた。そして5〜6年のあいだこの油彩の傑作はサロンの審査員から執拗に拒まれ続けていた。その機会ごとに画家のアトリエから展覧会場に向かい、そして展覧会場から画家のアトリエに戻ってくることを何度も繰り返したおかげでこの絵は道順を覚えるようになり、もし台車に乗せておいたならばルーヴルまでひとりで行ってしまえただろう。
 
 マルセルはもう10回もこの絵に上から下まで手を加えており、官展への出品を毎年拒まれる原因は審査員の個人的な敵意にあると見なしていた。そこで彼は暇にまかせて美術院の大家たちに敬意を表しつつ、かなり辛辣な漫画とともに悪口を書き並べた小事典を作った。この小冊子は画家のアトリエや画学生たちのあいだでもてはやされ、「トルコの太守」の平凡な絵で知られるジャン・ベラン(*2)からは苦情がしばらく続いた。パリ中の絵描きたちはその冊子をすっかり頭の中に入れている。

 長いあいだマルセルは展覧会のたびに何度となく続く落選の憂き目に対して落胆することはなかった。彼の絵は、大きさの点で劣るとしてもルーヴルにある巨大な傑作、しかも三世紀にわたり埃まみれでいてもその輝かしい壮麗さに少しも翳りが及んでいない『カナの婚礼』(*3)と好一対をなすものだという考えを持ちつづけていた。

 毎年、官展の時期になるとマルセルは出展審査を受けるために作品を送った。単に審査員の目をくらますために、あるいは『紅海渡渉』を以前に見たような気がするといって除外されないようにマルセルは全体の構図を崩すことなく、いくらかの細部に変更を加えて、題目を変更して出したのだ。

 そうして一度、彼は自作を審査員の前に『ルビコン渡河』(*4)という題で持っていった。だがエジプト王ファラオの姿の上にカエサルの外套をヘタに着せていたことがわかった途端、うやうやしく却下されてしまった。

 その次の年にマルセルは、画面一杯に雪をあらわす白色を塗りたくり、片隅には樅の木を植え、エジプト兵にナポレオン軍の近衛兵の服を着せ、画題を『ベレジナ渡河』(*5)と名づけた。

 その日の審査員は、眼鏡をよく拭きながら軍服の折り返しにヤシの葉の緑を見つけ、この新手の戦術に騙されることにはならなかった。審査員はこれが何度も出品を繰り返した絵であること、とりわけ紅海の波ぎわに後脚で立ち上がった勇猛な俊馬の多彩な色使いを見破ったのである。マルセルは配色法についてのあらゆる経験を用いてこの馬の姿を描いた。彼がよく口にする言い方でいえば「繊細な色調の総覧的な」絵画で、最も激しい色の変化を組み合わせた光と陰との戯れであった。しかしもう一度言うが、この細部に気づかなかったとしても審査員にとっては画面の黒い点が多すぎたのを『ベレジナ渡河』を拒否する十分な理由としたのである。

「結構です。そうだと思ってましたよ。来年は『パノラマ通路』(*6)という題でまた持ってきますからね。」とマルセルは言った。

「やつらはうまく、ひっかかる ・・・ ひっかける ・・・ ひっかかる ・・・ ひっかける ・・・」とショナールは新しい曲を作りながら口ずさんだ。雷鳴のように恐ろしく騒がしい曲で、近隣のピアノを全部いっぺんに弾いたような伴奏だった。

「なんでこれを落とすのかなぁ?僕の描いた紅海の真紅の色が顔に上って赤ら顔で恥ずかしいわけでもないのに。」とマルセルは自作をじっと見つめながらつぶやいた。「この絵の中に100エキュの色彩と100万の天分があると考えたらなぁー、フェルト帽みたいにこすれてきた僕の青春は別だけど。絵具の上塗り技法に新しい地平線を切り開くまじめな作品なんだ。これで終りになんかしないぞ。僕の息が絶えるまでやつらに絵を送ってやるんだ。やつらの記憶に刻み込ませてやりたいんだ。」

「刻み込ませるにはそれがもっとも確実な手段だよ。」とうめくような声でギュスターヴ・コリーヌが言った。そして自分に言いきかせるように続けた。「これはとっても美しい!こいつはとてもいいよ。仲間うちで何度でも繰り返して言うよ。」

 ショナールが作曲を続けるかたわらでマルセルは呪詛の言葉を続けた。
「あぁ、やつらは僕を受け入れたくないんだ。政府はやつらに年金を払い、アトリエをあてがい、表彰までするのに、やつらの唯一のねらいといえば一年に一度、3月1日に鍵つきの台車に乗せた僕の百号の作品(*7)を落とすことなんだ。やつらの考えははっきりわかるぞ、とてもはっきりわかるんだ。僕に画筆を折らせたいのさ。『紅海』を落選させればおそらく僕が絶望の窓から身を投げるとでも思っているんだ。やつらが僕にこんな見え透いた計略を立てるのなら僕の気持を全然わかっちゃいないね。僕はサロンの時期まで待ったりしないよ。今日から僕の作品はやつらの頭上に永久に吊るされるダモクレスの絵(*8)になるんだ。今後は一週間に一回やつらの家庭に、私生活の真っ只中に一つずつ送りこんでやる。やつらの楽しみをかき乱し、ワインにも肉の味にも邪魔になって、カミさんどもの苦虫をつぶした顔を見ることになるだろうよ。やつらはたちまち気が狂ってしまい、学士院の会合には暴れないように拘束服を着せられて行くのさ。この思いつきは笑わせるね。」

 数日後のこと、マルセルは迫害者たちに対する恐ろしい復讐計画をすっかり忘れてしまっていたが、彼のところにメディシス親爺(*9)がたずねてきた。本名はソロモンというユダヤ人の男だが、彼らの集まりではそのように呼んでいた。この年代に彼は若い気ままな芸術家たちの間ではよく知られており、親密な関係を結んでいた。

 メディシス親爺はあらゆる分野の雑多な物の売り買いをしていた。彼は動産一式を12フランから1000エキュ(*10)まで売った。彼は何でも買い取り、それに儲けを乗せて売りさばくすべを知っていたのだ。プルードン氏の交換銀行(*11)などはこのメディシスのやっている仕組みに比べれば取るに足らぬ代物だった。彼にはユダヤの教えが行き着く以上に流通をたくみに操(あやつ)る才能があった。彼の店はカルーセル広場(*12)にあったが、望むものが何でもみつかるという夢のような店だった。自然界のあらゆる産物、あらゆる芸術作品、大地と人智から産み出されたあらゆるものをメディシスは取引の対象としていた。

 彼の商売は何でも、存在するすべての物、さらに観念世界までも扱った。彼はアイデアを買って自分でそれを実行するか転売するかした。あらゆる文芸家、あらゆる芸術家からよく知られ、パレットになじみ、筆箱に親しみ、魔神アスモデ(*13)であった。彼は、連載小説の原案の代わりに葉巻を、一篇の十四行詩(ソネット)の代わりに部屋履きを、屁理屈(へりくつ)の代わりに新鮮な魚介を売ってくれた。雑誌に今流行(はや)っている装い(モード)について書くことになった物書きのために時間決めで話をしたりした。

 彼は議会の傍聴席の券や、祝宴(レセプション)への招待状を簡単に手に入れてくれた。また放浪画家たちを日決め、週決め、月決めで泊めてやり、その見返りにルーヴル美術館にある名画の模写を受け取った。

 劇場の桟敷席の確保も不思議ではなかった。劇の上演が見られ、特別に楽屋巡りさえもできたのだ。メディシスの頭の中には2万5千人分の紳士録が一冊入っていて、有名、無名の人物の住所、氏名そして秘密までも知りつくしていたのである。


 彼の商取引を記した帳簿の写しの数ページを見れば、こまかな説明を聞くよりもずっと良くその広がり具合がわかる。

                 184?年3月20日

・骨董商L氏に売却・・・コンパス:アルキメデス(*14)がシラクサ攻囲の際に使用せしもの、75フラン。
・ジャーナリストV氏から購入・・・アカデミー会員***氏の未製本の著作全集、10フラン。
・同V氏に売却・・・アカデミー会員***氏の著作全集に関する批評記事、30フラン。
・アカデミー会員***氏へ売却・・・自身の著作全集に関する12段組文芸記事、250フラン。
・文筆家R氏より購入・・・アカデミー会員***氏の著作全集に関する評論記事、10フラン+石炭25Kg+コーヒー2Kg付。
・ ***氏ヘ売却・・・デュ・バリー夫人(*15)の所有になる陶器の花瓶、18フラン。
・ 可愛いD嬢より購入・・・毛髪、15フラン。

・ B氏より購入・・・風俗雑誌一束とセーヌ県知事令の最近の誤字脱字三件、6フラン+ナポリ製の靴一足付。
・ O嬢へ売却・・・ブロンドの髪一束、120フラン。
・ 歴史画家M氏より購入・・・春画のデッサン一組、120フラン。

・ フェルディナン氏に対してR男爵夫人がミサに出かける時刻を通報。フォーブール・モンマルトルの中二階の部屋を丸一日貸し、まとめて30フラン。

・ イジドール氏へ売却・・・アポロン姿の本人肖像画、30フラン。

・ R嬢へ売却・・・オマール海老2匹と手袋6双、36フラン。(2フラン75サンチームのみ受領)
・ 同R嬢より譲受・・・婦人帽店経営***夫人に対する6ヵ月分の家賃債権。(価格交渉中)
・ R嬢の店子、婦人帽店経営***夫人より受領(ビロード布地3メートル、刺繍6オーヌ尺)
・ 文筆家R氏より譲受・・・現在破産清算中の***新聞に対する120フランの稿料債権、5フラン+モラヴィア産の煙草1kg。

・ フェルディナン氏へ売却・・・恋文2通、12フラン。
・ 画家J氏より購入・・・アポロン姿のイジドール氏の肖像画、6フラン。
・ ***氏より購入・・・「海底の革命」と題する彫刻作品のうち75kg、15フラン。
・ G伯爵夫人へ貸与・・・マイセン焼の茶器一式、20フラン。

・ ジャーナリスト***氏より購入・・・「パリ新報」用の記事52行、100フラン+暖炉棚の置物。
・ O商会へ売却・・・「パリ新報」用の***氏の記事52行、300フラン+暖炉用の置物。

・ SG嬢のためにベッド一床と小型馬車を貸与(無料)。(SG嬢の勘定は台帳の26−27ページを参照)
・ ギュスターヴ・C氏より購入・・・リネン産業の回顧録、50フラン+フラヴィウス・ヨセフス(*16)著作の稀覯本一冊。
・ SG嬢へ売却・・・新品家具一式、5,000フラン。
・ 同SG嬢のために・・・薬局処方箋の支払、75フラン。
・ 同上・・・・・・乳製品代金、3フラン85。
・ など、など、など。


 これらの引例から見れば、ユダヤ人メディシスの商売がいかに奥深く広がっていたかがわかる。そしてその雑多な取引の中身が少々怪しげであっても誰とも面倒を起こしたことはなかった。

 メディシスは物わかりのいい顔つきでボエームたちの部屋に入った途端、ちょうどいいところにやって来たと直感した。つまり四人の仲間たちはこのとき討議の真最中で、極度の空腹が議長で、パンと肉との重大な問題について論じていたのである。その日は月末の日曜日、宿命の日、厄災(やくさい)の巡ってくる日なのだ。

 メディシスの登場はしたがって歓喜の合唱で迎えられた。というのもこのドケチな男がご機嫌伺いだけに時間を割くことなどあり得ず、何かを取引するためにやってきたことが明らかだったからだ。

「皆さん、こんばんは。いかがですか?」
「コリーヌ、お客様に椅子をおすすめしてくれ。お客様は神様だ。族長アブラハム(*17)としてご挨拶しますよ。」
 ロドルフは自分のベッドに寝ころがっていて水平の心地よさにけだるい様子だったが、歓待しなければと身を起こしてつけ加えた。
 コリーヌは青銅のように硬くなったソファを取りに行くと歓迎の言葉を言いながらユダヤ人のほうに押し出した。
「ここはあんたがキンナ(*18)だと思ってこの椅子にお座りなさいよ。」

 メディシスはソファにどかりと座ったが、その硬さに文句を言うところだった。そして以前ある即興の才能のない議員に演説の草稿を売ったときに、それを作ったコリーヌにこのソファと取りかえたことを思い出した。座りながら親爺のポケットから銀貨の音がした。その旋律豊かな音の響きで四人の仲間はうっとりと夢見心地になった。

「ほら歌が始まるぞ。伴奏も美しいし。」とロドルフが低い声でマルセルに言った。

「マルセルさん、今日はちょっとあんたの金儲けの話に来たんですよ。つまりあんたが芸術の世界に認められるという素晴らしい機会を差し上げるんです。芸術というものは、マルセルさん、あんたもご存知の通り実りのない道でして、栄誉はオアシスみたいなもんですよ。」

 マルセルはじれったくなって言った。
「親爺さん、言いたいことの半分でいいから簡単に言ってくれませんか。」
「そうだ。手短かというのは、つまりピピン王(*19)のように割愛してというか、あんたもヤコブ(*20)の息子だから割礼してるというか。」とコリーヌが口をはさんだ。

「おい、おい、おい。」と仲間たちは神罰が下って床面が口を開いてコリーヌが飲み込まれるのではと見守った。だが今回はまだ思想家は飲み込まれなかった。

「今回の話はですね。」とユダヤ人は続けた。「ある金持ちの愛好家がヨーロッパ一周ができるような絵を集めて画廊を作りたいとおっしゃって、一連の優れた作品をそろえるよう頼まれているんですよ。その中にあんたの絵も加わったらとお話に来たわけで、ひと言でいうとあんたの『紅海渡渉』を買いたいんです。」

「高値で?」とマルセルがきいた。
「高値ですよ。」金の入った財布を鳴らしながら親爺は答えた。
「それでいいんだろ?」とコリーヌがたずねた。

「決まってるさ。」と意気ごんでロドルフが言った。「話がこじれないように我慢をしなくちゃいけないよ。素直になれ、お金のことがわからないのか?何も認めないというのか、バチ当りめ!」

 コリーヌは家具の上に乗っかると沈黙の神ハルポクラテス(*21)の恰好をした。

「続けてくれ親爺さん。」とマルセルは絵を示しながら言った。「もともと値段などつけられないこの作品に値づけする栄誉をあんたに与えましょう。」

 ユダヤ商人は真新しい銀貨で50エキュをテーブルの上に置いた。
「あとは?これじゃ手付け金ですよ。」とマルセルが言った。
「マルセルさん、わしの言葉はつねに最初で最後なのを知ってるでしょ。追加なしですよ、よくお考えなさい。50エキュは150フランですよ。(*22) 結構な額でさ!」

「ずいぶん低いね。ファラオの衣装にもならないよ。コバルト顔料だけで50エキュかかったんですよ。少なくとも材料費ぐらいは払ってくださいよ。収支トントンに、数字も丸めて、そしたらあんたを法王レオ10世様、後レオ10世様(*23)とお呼びしますよ。」

「これがわしの最後の値段ですよ。」とメディシスが答えた。「もう1スーたりとも足しません。ただし、これから皆さんを夕食にご招待しましょう。色んなワインもご自由に、それからデザートまでわしが現金で払いますよ。」

「他にありませんか?」コリーヌがテーブルを拳骨で三回叩いて叫んだ。「落札!」

「それじゃ、承諾しますよ。」とマルセルが言った。
「じゃ、絵の方は明日引き取りに来ましょう。」と親爺は言った。「さあ皆さん、今すぐ食事ですよ。」

 四人の仲間は『ユグノー教徒』(*24)の「食事だ!食事だ!」という合唱を歌いながら階段を降りた。
 
 メディシスはボエームたちにとにかく豪華なもてなしをした。これまでまったく食べたことのない山ほどの料理を出してくれたのだ。ショナールにとってはこのときの夕食を境にオマール海老がもはや神話ではなくなり、この甲殻類を味わった感激はうわ言のような語り草となった。

 四人の仲間はこの素晴らしい饗宴を終えて外に出たが、収穫祭のときのように酔っ払っていた。マルセルは酔いにまかせてあやうく悲惨な結末に陥りそうになった。深夜の二時に彼の仕立て屋の店先を通りかかったので、どうしてもすぐにたたき起こして受け取ったばかりの150フランを借金返済の一部として渡すんだと騒いだのだ。コリーヌの頭脳に残っていたわずかな理性の光がこの破局の淵から画家を救うことになった。

 この祝宴の八日後のこと、マルセルは自分の絵がどの画廊に納められているかを知った。フォーブール・サン=トノレ街を歩いていて、ある商店の看板を見上げて物見高い人だかりがしているのに立ち止まった。その看板こそメディシス親爺が食料品店に売った、他ならぬマルセルの絵だったのだ。ただし「紅海渡渉」は更にまた手を加えられ、新しい題名がついていた。一艘の蒸気船を描き加えて『マルセイユ港にて』となっていたのである。

 その絵を見た群衆からは嬉しくなるような賞賛の声があがった。マルセルはこの勝利に満足して振り返ってつぶやいた。「民の声は天の声。」


(*1) 紅海渡渉 Passage de la mer Rouge : 旧約聖書、出エジプト記にある故事。預言者モーゼがエジプトに囚われていたユダヤの民を率いて紅海のほとりまで逃れてくると、海が二つに分かれて道ができ、無事対岸のシナイ半島まで渡ることができたという。

(*2) ジャン・ベランJean Bélin :当時のアカデミーの画家らしいが詳細は不明。仮名の可能性あり。

(*3) カナの婚礼 Noces de Cana : 新約聖書、ヨハネによる福音書にあるキリストが最初に行なった奇跡。母マリアと弟子たちとともにカナで催されたある婚礼に呼ばれ、瓶に入れた水をワインに変えたという。ルーヴル美術館にヴェロネーゼ Veronese 作の巨大な絵画 (縦6.77m x 横9.94m) がある。
http://www.louvre.fr/img/photos/collec/peint/grande/inv0142.jpg

(*4)『ルビコン渡河』Passage du Rubicon : 古代ローマ時代にはこの川の南北でローマ本土と帝国領とを分ける境界と見なされていた。カエサルが紀元前49年に自軍を率いてこの川を渡ってローマに攻め入り、ポンペイウスの軍を撃破したことが歴史を書き換える出来事となった。この時の「賽は投げられた」というカエサルの言葉はあまりにも有名。
http://en.wikipedia.org/wiki/Rubicon

(*5)ベレジナ渡河 Passage de la Bérésina : 1812年のナポレオンのモスクワ遠征は焦土作戦と厳冬の到来とで退却を余儀なくされたが、ロシア軍の追撃を受け、飢えと寒さと疲労とで兵士の士気は低下した。特にベレジナ川渡河は凄惨をきわめ、多くの犠牲者を出した。
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/kindai/62-france11.html
http://jean.dif.free.fr/Histoire/Walter/Walter.html

(*6) パノラマ通路 Passage des Panoramas : 19世紀のパリの繁華街に「パサージュ」という名称で作られた数多くの商店街アーケードの一つ。マルセルはこれまで画題として海や河を渡るという意味の「パサージュ」で何回も挑戦したが、今回の落選の腹いせにアーケードの「パサージュ」を掛けて言ったもの。いかにもエスプリが効いた一言。
http://www.parisinconnu.com/passages/panoram1.htm

(*7) 百号の作品 : 画布(カンバス)の号数は対象が人物(F=figure)、風景(P=paysage)、海景(M=marine)で微妙に異なるが、この場合は風景(P)と思われる。約162cm×112cm のサイズ。

(*8) ダモクレスの絵 Damoclès : 普通は「ダモクレスの剣」と言われる。廷臣のダモクレスに玉座の座り心地をきかれたシラクサ王ディオニシオスは、玉座にダモクレスを座らせたが、頭上に馬の毛一本で剣をつるして権力の座は常に危険にさらされているという意味を知らしめた。ここでは剣の代わりに絵を頭上にぶら下げて脅威と思わせること。

(*9) メディシス親爺 père Médicis : ルネサンス期のフィレンツェの富豪メディチ家のフランス語読みがメディシス。多くの芸術家を庇護する人物としての代名詞となった。このような人物が実在したのは確かなようである。

(*10) 12フランから1,000エキュ : 当時の1フランは現在の日本円の価値で3,000〜4,000円程度と思われる。また1エキュは革命前の通貨単位で、3フランに相当する価値で流通していたと本文にある。従ってこの部分は「約3万円から100万円まで」と読み直すとわかりやすい。

(*11) プルードン氏の交換銀行:物々交換もしくはリサイクルを扱う場所らしいが詳細は不明。同時代に空想社会主義者のプルードンProudhonがいるが、同一人物かどうか?

(*12) カルーセル広場 place du Carrousel : 19世紀の中頃にはまだルーヴル宮が拡張されておらず、チュイルリー宮との間にあるカルーセル凱旋門の周辺は古くからの市街地で住居と商店とが連なっていた。

(*13) 魔神アスモデ Asmodée : ユダヤ教で言われる悪魔神のひとつ。学芸に通じ、財宝を見つける術を知っているという。
http://www.greengrape.net/kazuhiro/romanesque/vezelay/04_nave_capital/index_04.html

(*14)アルキメデス:古代ギリシアの数学者。「アルキメデスの原理」で知られる。生地シラクサがローマ軍に攻撃されたときに投石器などの兵器を発明した。紀元前200年以上前のことなので、コンパスが残存して売買されることが可能なのかどうか疑問ではある。
http://ibuki.ha.shotoku.ac.jp/school/science/archmedes.html

(*15)デュ・バリー夫人 Mme Du Barry (1743-1793) : 国王ルイ15世の愛妾だった女性。ヴェルサイユの北部に当たるルーヴシエンヌに城館を構え、派手な社交生活を送った。大革命で処刑された。
http://madeline.cc/history/lui15.html
http://www5a.biglobe.ne.jp/~french/cham/du/

(*16)フラヴィウス・ヨセフスFlavius Josèphe : ユダヤの軍人。ローマの将軍に服従して幕僚となり、市民の称号も得る。晩年『ユダヤ古代誌』や『ユダヤ戦記』などを著述。
http://blog.goo.ne.jp/cfsasaki/e/0b65932b11ad0603dd671e7f3b637272

(*17) アブラハムAbraham : 旧約聖書における最初のユダヤ人族長。神のお告げにもとづく様々な試練を乗り越える。

(*18) キンナCinna : 紀元前1世紀のローマにおける独裁者の一人。カエサルの最初の妻の父親。
「亡きマリウスに代わって《民衆派》を体現する形になったキンナは借金の返済に苦労することの多い下層市民の救済も忘れなかった。・・・借金の4分の3が帳消しになった市民は喜んだが・・・」
(c)塩野七生 著『ローマ人の物語』第V巻第2章、新潮社刊より引用

(*19) ピピン王Pépin :フランス・カロリング王朝の創始者。身体が小さかったので短躯王と呼ばれる。ここでは「短く縮めて」という意味で持ち出された。

(*20) ヤコブJacob  : 旧約聖書の創世記中の人物。その12人の息子たちがイスラエル十二部族の祖となったとされている。ユダヤ人はみなヤコブの子孫と称し、割礼の習慣がある。
http://www.insecula.com/oeuvre/photo_ME0000057582.html

(*21) ハルポクラテスHarpocrate : 元々はエジプトの子供の姿をした神だったが、ギリシア・ローマに伝わり、薔薇の花にちなんで沈黙をつかさどる神とされた。
http://cosme-kp.e-city.tv/rose.html

(*22)150フラン:上記の概算で50万円くらいになる。

(*23) 法王レオ10世様、後レオ10世様 Léon X, Léon X bis : フィレンツェの大富豪ロレンツォ・デ・メディチの次男。ローマ法王となり、学芸を庇護し、ローマ大学を創立した。(後レオ10世は言葉のアヤ。)

(*24)『ユグノー教徒』Les Huguenots :マイヤベーアMeyerbeer作曲の代表的なオペラ。1836年初演以降パリで大成功を博した。聖バルテルミーの虐殺(1572年)前後のフランスを題材としており、マルゴ王妃も登場する。「食事だ!食事だ!」の合唱は、第1幕のヌヴェール伯の城中で廷臣たちによって歌われる。


原題: 16. Le Passage de la mer Rouge
『若き芸術家(ボエーム)たちの生活情景』Scènes de la vie de bohème 所収 (1880年刊)

作者: アンリ・ミュルジェ Henry Murger

試訳: 写原祐二(2005年6月11日)


底本テキスト : Henry Murger : Scènes de la vie de bohème
Gallica, La Bibliothèque numérique, BNF #200215 ガリカ電子図書館
Calmann Lévy, Paris; 1880 カルマン・レヴィ社版 1880年
P.189-197


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