Aelbert Cuyp: Ubbergen Castle (Detail)
National Gallery, London, UK

湖の魔城

作者匿名(Ch. N***, シャルル・ノディエ?)

 ジュネーヴの湖上を周遊しながら、とあるうち捨てられた古城の前にさしかかったとき、沖に出るために力いっぱい櫂を漕いでいた船頭の顔が恐怖の色に染まるのを私は見た。

「どうしたんだね?」ときくと、
「あぁ!旦那、ここは早く行かしてやってくだせぇ。ほら、あそこの亡霊が向かってきてあっしを脅すんですよ。」
私もようやく亡霊が威嚇の身ぶりをしている姿を認めた。

「これは面白い! 話してくれ、この城ではどんな不可思議なことが起きるんだね?」
「旦那!」と船頭は答えた。「あっしは昔この辺で漁師をやっていまして、物怖じしない男だったもんで、仲間から何百回も言われてました。
『オノレよ、あの古いお城に近づくんじゃないぞ。いくら魚が沢山取れようともその気になるんじゃない。あそこはあの世から戻って来た幽霊どもが住んでるところなんだ。』
あっしは奴らの意見を軽蔑して、毎日このいわく付きの場所に通っては自分の漁網を一杯にしてました。そのとき何度も幽霊が現れるのを見たんですが、舟の中にやって来ても平気でいたもんです。
 
 ある夜のこと、それは気味悪い夜で!あっしが網を引いていると、恐ろしい亡霊が湖の上を歩いてくるのが見えました。あっしは怯えることなく櫂を振り上げて亡霊を追い払おうとしたんです。(ちょうど今旦那がご覧になったのと同じ奴で…)でもおぉ、恐ろしや!怪物が腕を振ると炎が現れて湖面全体を照らし出したんです。それと同時にあっしの船の中は蛇やトカゲだらけになっていました。やつは目と鼻と口から炎を吹きだして、声はさながら雷鳴のようでした。そうするうちにやつはものすごい力で舟を持ち上げるや、またたく間に消失させてしまったんです。わずかな財産のすべてが台無しになったわけで、亡霊が言うのが聞こえました。

『罰当たりめ!お前には地獄が待っているぞ。か弱き人間どもが地獄の悪霊に向かって戦うなどと考えないようにするにはいい見せしめだ。』

 そのあいだあっしは方角もわからぬままに力いっぱい泳いでいました。幸いにも仲間の漁師がいて救いあげてくれ、あっしは息を吹き返したんです。(舟に引き上げられたときには瀕死の状態でして)家まで運んでもらいました。悲しいかな!あっしは助かりましたが、舟も漁網もそして一緒に乗っていた弟も、みんな失いました。

 旦那、これがあっしの身の上にふりかかった出来事です。旅する方々からあえてお命じがなければ自分からこの恐ろしい城には決して近づこうとは思いません。それまでは自分と家族のために十分に稼いでいたんですが、そのあとの暮らしは下働きのみじめな境遇ですよ。」

「船頭さん、あんたの災難は気の毒に思いますよ。でも私はその亡霊とやらに会いに行きたいんだ。」
「旦那、神のご加護がありますように。行ったら生きては帰れないでしょうよ。」
「一緒に行くかい?」
「いいえ、あっしはもうたっぷり教わりましたから。」
「よろしい!湖岸で降ろしてくれ。」
「お願いですから馬鹿なことはしなさるな。」
「舟を進めるんだ。湖岸で降ろしてくれ。」
「それでは、少し離れたところでお待ちします。」

 夜の帳が下りる頃、私は城の塔の下に着いた。私は完全武装していた。亡霊に対応するためでなく、不信心な人間どもが住んでいるのがわかるかも知れないと思ってのことだ。私は城の中に入った。すべてが平穏であった。シャンデリアに火を灯し、あたりを歩き回ったが、あらゆるものがきちんと整えられていた。私は部屋の一つに腰を落ち着け、テーブルの上には武器を置いて決然と敵を待った。

 悪魔や亡霊たちは私を丁重に迎えるのかもしれないと思いはじめた。そのとき、暖炉に何かが落ちてきた音がしたので私は身を起こした。それは死人の首だった。つぎの瞬間には脚が一本、そして腕が二本、さらに死体の残りが次々と落ちてきた。

おぉ!おぉ!これはまずい、悪霊どもは人を怖がらせるだけでは終わらないぞ、と私は思い、身を退くことにした。そのとき鎖を引きずる大きな音が聞こえて、まもなく亡霊が現れ、私に向かってこう話したのだ。
「不遜な者め!お前の船頭が受けた懲罰ではまだ足りなかったのか?お前がこの館に来る必要があるのか?…罰当たりめ!震えるがいい、地獄と亡者のすべてがお前の相手だ。」

 私は冷静さを保ちながら、亡霊めがけて発砲した。やつはそれを物ともせずに合図をすると、多くの悪魔たちが部屋の中に走り込んできて、恐ろしい喧騒を引き起こした。私はこの呪わしい部屋から逃げ出して、階段を上り、別の部屋に駆け込んだ。が、そこには血まみれの経帷子に包まれた別の幽霊がいた。私がまた逃げ出すと、数千の骸骨がその骨だけの手で捕まえようとやって来た。私は太刀を手で振り回しながら走ったが、何度斬っても何の役にも立たなかった。今度は大きな魔物が私に飛びかかってきたが、それをかわして逃げた。だがどこに逃げればいいか、もうわからなくなってしまった。城の中は悪臭のする濃い煙霧に満たされていた。絶え間ない亡霊たちの攻撃にさらされて、私は隣の部屋に急いで逃げこんだ。だがまさにそこに足を踏み入れたとたん、床が崩れ落ちて私はわけがわからぬままに転落してしまった。

 そのまま気を失っていたのだが、意識が戻ったときには日が高くあがり、私は湖畔に倒れていた。衣服はボロボロになっていて、私は弱りきって立つこともできなかった。船頭が助けにやってきた。彼が言うには、
「恐怖で凍りつきそうな出来事を湖上で目の当たりにしました。てっきり旦那はもはやこの世の人ではない、と思いましたよ。」

 私たちはさびしくジュネーヴへの道をたどり、最後に私は船頭にかなりの金額を渡し、元の生活が取り戻せるようにと願った。
 私はその後何度もこの湖を周遊する機会があったが、もうこの魔城を訪ねようとは思わなかった。


原題: La maison du lac
短編集『地獄奇譚』Infernaliana 所収 (1822年刊)

試訳:写原祐二(2004年2月29日)


仏和翻訳習作館 忘却作家メモ:ノディエ

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